その手で、触れて



曇天続きの数日、奇妙な肌寒さが背筋を震わせるような中。数年音沙汰の無かった男が当たり前のように自分の部屋のソファで寛いでいる姿を見て、綱吉は今まで溜にためていた吐息を吐き出した。
「人の顔を見るなりなんです?相変わらず君は失礼な人ですね」
「勝手に人の部屋に上がり込んで寛いでる人には言われたくないんですけど…」
外套を脱ぎ、ドアの横に設置されているコート掛けに引っ掛けている間にも、家主よりも堂々とした態度でテレビのリモコンを片手にチャンネルを変えているのは、ボンゴレの霧の守護者、六道骸である。
ここ二三年姿を見ていなかったせいか、前はもう顔も見たくないと思っていたのに、ソファの背に片腕を乗せ、長い足をだらしなく放り出している姿が妙に新鮮に映る。ちらりともこちらに視線を投げてこない態度に懐かしさすら感じながらソファに近づけば、ようやっと、相手の瞳がこちらを向いた。
左右で色違いの瞳を、オッドアイと呼ぶのだと綱吉に教えたのは誰であったか。魔に魅入られた瞳だと詰った部下の一人は翌日に河に浮いていたのが、随分と昔な気がする。あの日から骸は綱吉の前から姿を消していた。
ソファの背もたれに片手を置き、こちらを見上げてくる男に何故だと視線で問うた。
黒に蒼い色合いの髪を持つ男は軽薄な仕草で肩を竦めた。
「それは今ここに僕がいることですか?それとも二年七ヶ月もの間姿を眩ませていたことですか?」
「はぐらかすなよ、骸」
細かい歳月を示されて、改めて目の前の男と離れていた期間を思い出す。リモコンを持つ長い指先が自分に触れなかった年月でもある。
「…君は少しでも目を離すと随分と印象を違えてきますね。今の君は、まさしく人の上に立つ者だ。命令する事を当たり前だと思っている…。マフィア、というには少々マスクが甘いですが」
クフフと特徴のある笑いをする男は綱吉が問いかけている内容を理解しながらも敢えて無視しているのだろう。出会った頃から変わらない骸らしい言葉のやり取りに、つい懐かしく、口元が緩む。
もともと、人を問い詰めるのは性に合わないのだ。骸相手に少しでも表情を保てた事がこの仕事に慣れた成果だ。
綱吉が表情を緩めて見せれば、骸も口の端を上げた。こちらの内情などお見通しかと苦笑して見せれば、ソファの背もたれに乗せられていた手が綱吉へと伸ばされる。
「あの男は君の守護者である僕を蔑んだ。それはボンゴレ…沢田綱吉、君への卑下に他ならない。僕はボスを中傷した男を消したにすぎない…ただの忠実な部下ですよ」
未だに慣れない黒スーツに身を包んだ綱吉の手の甲を、黒手袋越しの指がなぞる。ぐ、と握りしめた拳に、上等なソファの皮が音を立てた。
「あなたは…いつも遣りすぎるんだ」
窘めるような口調は、スーツの袖から入り込んできた指に震わされた。こくり、小さく鳴る喉に骸は獲物を見つけたとばかりに笑った。
「ファミリーも、君に触れるのも…遣りすぎな位が丁度いい」
忘れてはいないでしょうと、腕を引かれ、ソファに乗り上げた体に響かせるように骸が囁いた。
「骸、」
思わず背けた顔を、顎を掴まれて引き戻される。吐息の触れる距離にある顔は、綱吉の記憶の中にあるものより精悍さと鋭さを増していた。
「何度言えば分かるんです?逃げ切れない抵抗は、唯の誘いだと」
「っ、ちが…!」
う、と伝える筈の口に骸の薄い唇が当てられる。乾燥した感触に、思わず舌を尖らせて骸の唇を舐めた。しまった、と自分の行動に驚く間を与えずに、舌を、唇を噛むようなキスをされた。
後頭部を鷲掴む手が綱吉の頭を固定して、逃がすのを許してくれない。離せとばかりに綱吉をソファに押し倒す相手の胸を叩けば、仕返しとばかりに咥内の奥へと舌が入り込んできた。息苦しさに、目尻に涙が溜まる。
顔を傾け、好き勝手に綱吉の口の中を掻き回している男を睨みつけるが、返ってくるのは愉しげに細められた目だ。
「…、…っ!」
ぎしり、軋むソファの音の生々しさに、顔に一気に血が集まる。こんなに他人を近づけるのも、キスをするのも久し振りだった。
二年、七ヶ月ぶりだった。
は、とようやっと離された唇に唾液の糸が引く。呆けた思考でも、その淫らな光景に羞恥が湧いてくる。慌てて口元を手の甲で拭った綱吉を、真上から見下ろしていた骸が、クフフと唇を歪ませた。
「久し振りなんです。感じさせてください。君の熱を…」
口元を覆っていた手に軽いキスを送られて、陥落しないでいられる程、綱吉は冷めてるわけでも、ましてや骸を愛していないわけでもない。
「…、後で、ちゃんと報告…しろよ!」
吐き捨てるように怒鳴った後、綱吉はまるで恋人にするような甘い仕草で骸の首へと腕を回した。



キスを甘受している間に、ネクタイはおろかシャツまで脱がされていた状況に、綱吉は驚くよりも呆れた。昔から、こういう事に関しての骸の手際の良さには気がついていたが、久し振りに自分の身でされると悔しいような、羨ましいような気分になる。
唇を噛み締めた綱吉に気がついたのか、口を開けとばかりに与えられる肌への直接的な刺激や唇を無理やりこじ開けるような乱暴なキスに、後ろ手で体を支えていた腕から力が抜ける。
晒された背中に触れるソファの皮は火照り初めていた綱吉の体を冷やした。愛撫を受けている唇と胸の内が、燃えるように熱い。
「鳥肌が立ってる…。どうやら、君にとっても人と肌を合わせるのは久し振りなようですね」
安心しました、とテレビ画面から届く光に瞬く瞳が、暗く陰を作る。視線だけで問い返せば、美形の部類に入るであろう顔が笑みの形に歪んだ。
「君を、殺さずに済む」
「…っ物騒なんだよ、お前は…!」
ぞろり、首筋を舐める舌の感触にぶわりと毛が逆立つ。
「君の手が触れた存在を許容できる程、僕は寛大な人間ではないんです。むしろ嫉妬にまみれた醜い恋人に過ぎない」
「こ、恋人とか…!お前言うことが一々気持ち悪いぞ…」
「まぁ、自分でもらしくはないと思いますが、君を前にすると舞い上がってしまってどうにもならない。しかし気持ち悪い、とは…酷くありませんか、綱吉君」
肌を重ねる様な、深い関係の相手にしては。
鎖骨に歯を立てられ、痛みに体を震わせた間に下肢を覆っていた衣服が全て取り払われる。唐突に触れた外気の冷たさに、思わず目の前にある温もりに手を伸ばす。
触れた先が未だに服を乱してさえいない状況に綱吉は不満気に唇を尖らせた。
「お前も、脱げ…」
「おや?君が脱がしてはくれないんですか?」
伸ばした手を、黒手袋に覆われた手が引く。露出している首筋から鎖骨の下へと綱吉の手を押し付けるように導く手に、綱吉はかっと頬に熱を集めた。
「ぬ、脱げ、よ!」
沸く羞恥に耐えながら言えば、上に覆い被さっている男はやれやれ、とばかりに肩を竦めた後に羽織っていた黒い上着を脱ぎ捨てた。
その潔さに綱吉は目を見張る。てっきり、骸の言葉通りに綱吉が脱がすまで脱がないでいる気だと思っていたからだ。
今日の骸は、綱吉は驚く程にスタンダードな触れ方をしてくる。一目で高いものだとわかる、上等な素材の服をそんな乱雑に扱うなんてと意識を逸らしていた僅かな間に上半身を裸にした男は、それは楽しそうに(後少しで鼻歌まで口ずさみそうな程に)綱吉の華奢な体を引き寄せた。
触れ合う素肌の心地よさに、自然口から吐息が零れた。
「そんなに僕に触れたかったんですか?」
からかうような口振りだったが、綱吉は反感する心を抑えて素直に頷いてみせた。今の骸相手ならば、そうした甘えも許されるとなんとなくわかってしまったからだ。
骸は僅かに体を固くしたが、すぐに綱吉の背に回された腕が力強く互いの体を密着させた。
「素直な君は、嫌いじゃない…。僕もつられてそんな気分になれますからね。今は、早く君の熱を感じたかった」
だから直ぐに服を脱いだのかと一人で合点している間にも長い指先が綱吉の体を探っていく。ふ、吐き出した呼気に含まれているのは明らかな期待。
慣らされたものだな、と自分の体の反応をまだ冷静な頭で見下ろす。成人を越えたというのに、昔からあまり変化の見られない貧弱な体は、細身の骸と比べても小さく、弱々しい。
それを辿る大きな手と見比べると、自分の体がいかに小作りに出来ているのだと知らしめているようだと思考を下降させている所で、ふと、違和感を感じた。
綱吉の平べったい胸と、腹を探るのは、黒手袋に覆われた骸の。
「むく、ろ。お前、何その…右腕」
手袋をはめたまま、というには過去にも何度かあった。けれど、右手にだけはめられた黒手袋が、奇妙な警鐘を綱吉に伝えてくる。そうした感覚を、綱吉は以前にも感じた事がある。
骸の幻術、だ。
胸元を弄っていた手が、僅かに膨らんだ部分を掠る。びくりと体を震わせた綱吉に降りてきた声は呆れたような声音だ。
「ボンゴレの血というのは…本当に厄介だ。わかってます?今のこの状況。気を削がれる」
「ご、ごめん…。でも、その右手…なんで幻覚が、掛かってるんだ?」
僅かに弾む呼吸を必死に抑えながら問い掛ける綱吉に、骸は呆れたような吐息を漏らした。ぎしり、骸が身を起こすに合わせてソファが軋む。
膝立ちで見下ろしてくる骸の視線に、自分が全裸だということを思いだし身を捩ろうとするが、膝で太ももを押さえつけられている状態では僅かに上半身を捻るだけしかできない。
自分を見下ろしている顔が美麗な分、居たたまれない。
「丹念に造ったつもりでしたが…君の目はやはり誤魔化せませんか」
「むく、ろ?」
違和感が強くなる。胃が捩れるような奇妙な感覚。
肘をつき、上半身を起こそうとするが、視線だけで留められた。ぐらり、骸の右肘から先が揺らめいたと感じた瞬間に見えたものに綱吉は息を飲み込んだ。
僅かに筋肉で盛り上がる肩から繋がる二の腕の先。肘から下にあるのは肌よりも白い義手だった。
「僕好みではないので、あまり見せたくはなかったんですが…」
「おまえそれ…!」
黒い手袋をはめた義手が、微かな機械音を立てて動く。よく見れば、手首から先、手の動きが鈍い。幻覚を掛けられていたにしても、全く気づかなかったのだから、改めて骸の自然な振る舞いに驚かされる。
少し、油断しまして、と苦笑いで両手を上げて見せる骸の軽い調子に、体から力が抜けていく。戸惑いを隠すように、目元を腕で隠した綱吉に、笑い声が降ってくる。
「もしかして泣いてくれてるんですか?」
「違う…呆れてるんだ」
クフフと、零れた笑いが剥き出しの腕に掛かる。下腹部を撫でる手袋の感触にびくりと体が震えた。中途半端に煽られた体の奥で、熱がくすぶっている。
「利き手を傷つけなかった事を褒めてください。腕一本でも君を喜ばせる事はできます」
「そ、そういうことじゃ、無い、だろっ!」
そのまま下肢へと下がっていく不埒な手に慌てて顔から腕を退かすが、ぐいと迫ってきた端麗な顔に息が詰まった。
「それに、熱ならもっと他の場所で感じられますから、ね」
だから安心して身を預けてくださいと微笑む男に、既に裸に剥かれている綱吉に抵抗などできはしなかった。




(2008/10/30)

10年後の骸さんが義手とか萌えるよねって盛り上がったんだ


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