周囲はパーフェクトワールド





豪奢な作りの廊下は、歩く度に骸の神経を刺激する。
煌びやかで、薄暗い歴史に彩られてきた白い壁が憎らしい。いっそ、全て血の色に染めてはどうかと、趣味の悪い屋敷の持ち主に進言したこともあったが、その場で却下された。
言った本人である骸自身も、すぐにそんな提案は忘れてしまうが、この廊下を通る度に瞼に焼きついた人の血を塗り合わせるのだから、度々進言はしてしまうのはもう癖のようなものだ。
この屋敷で会う挨拶のようなものだと、互いに理解している程には、付き合いは長い。
もう、十年近くになるか。まさかここまでマフィアなどという輩と顔を合わせる事になるとは、流石の骸も想像さえしなかった。
嫌になる、とこれから会う面々の顔を思い出して眉を顰めたところで、階下の騒がしい様子が耳に入った。慌しく屋敷内を走り回る音と、屋敷外、警護している男達の指示する声が聞こえてくる。 不審な人間が近づいてくるだけで怒声と銃声を響かせる野蛮な男達にしては、上品な出迎えだと、ふいに興味を惹かれた。だかれ、重鎮でも来たのかと。
無駄に金をかけた飾り窓に身を寄せ、黒塗りの車がつけられている門扉へと視線を落とす。ボンゴレの幹部程度ならば、これほどの出迎えは受けない筈だと視線を巡らせて、車の後部座席から降りてきた男の姿に納得した。
顔さえ判別できない距離であっても、輝きを放つ男の姿に目を細める。相変わらず、眩しい男だと口許が緩むのを自覚しながらも、門扉の警護をしている男達と和やかに談笑しているキャッバローネのボスを視線で追う。
ボンゴレのボスしかり、キャッバローネのボスしかり。どうして、骸の近くにいるマフィアのボス達は皆、血生臭さとは無縁にも見える見目をしているのだろうか。
ぎ、指が窓を掻く。
骸の知るマフィアとは、殺し犯し嬲り憎む。絶えず流れ続ける血を浴びた呪われた人種だ。
だというのに。
(ボンゴレも…跳ね馬も。『まとも』に見えるから厄介だ)
じりじりと焼け付く右目に顔が歪む。マフィアなど、憎むべき相手、存在する必要の無い、愚かな…。
ふいに、部下に囲まれていたディーノが顔を上げた。見える筈の無い、相手の瞳が絡みそうになり、反射的に身を引いた。
どっ、と跳ねた鼓動に舌打ちが漏れる。琥珀色にも似た瞳を思い出し、その甘ったるさにくらりと視界がぶれる。
まったく、どうしたって厄介な相手なのだ。
(これだからマフィアのボスなんてのは!)

信頼を含んだ大きな瞳も、愉悦を含んだ琥珀の瞳も、なんと質が悪いことか!






「ボス?どうした」
眼前にそびえるボンゴレの屋敷を見上げ、僅かにだが動きを止めたディーノに部下が声をかけてくる。遠くに見える上階の窓に、確かに人影を見た気がしたが、それは幻のように消えてしまった。
(幻覚?霧の守護者か?)
性別すら判別でき無い程の視界の遠さだが、ボンゴレの屋敷内で不審な仕草をする人間は一人くらいしかいない。マフィアを毛嫌いしている男だ、本部であるこの屋敷に訪れる事は滅多にないのだと、ボスである綱吉から聞いていたが。
(やっぱり見間違いか?)
愛想のいい笑みを浮かべながらも、左右色違いの瞳が歪に濁っていたのを思い出す。まだ若いというのに、深く澱んだ目にディーノは同情抱いた。傷だらけで、今にも倒れそうな癖に喉元を狙っている。まるで手負いの猫のようなボンゴレの霧の守護者は滅多にディーノ前には姿を表さない。
嫌われたもんだなあ、と人影のあった窓を見上げていると、何時の間にか屋敷から出てきたのか、現ボンゴレのボスである綱吉が声をかけてきた。数ヶ月ぶりに見る弟弟子の姿に、ディーノは途端に相好を崩す。
「おー!ツナ!元気そうだなー!」
「お久し振りです。ディーノさんも元気そうですね」
出会った頃より外見的にも精神的にも成長した弟分と、こうして組織のボス同士として握手を交わしている。感慨深いものがあると思うくらいには、自分も歳を重ねてきた。
一通り挨拶を済ませ、綱吉自身に屋敷内へと招かれた所でふと、先ほど見かけた人影について思い出す。広い玄関ホールから繋がる階段の上を見上げるが、勿論そこに人影は無い。
「ディーノさん?」
「なあ、ツナ。今日の会合にお前んとこの霧の守護者、来てるか?」
「クロームですか?ええ、昨日からこっちに来てますけど…」
「そっちじゃなくて…。ああ、いや…結局同じなのか?」
自分でもなんと言っていいのか。はっきりと「骸が来ているのか?」と綱吉に聞けばいいのについ言葉を曖昧にしてしまうのは、マフィアなど憎悪の対象でしかないと、常々公言している男の不安定な瞳を思い出したからだ。
同盟とは云っても、所詮ボンゴレとは他組織。過去にボスの命を狙い、反乱さえ起こした男の姿を見かけたなどと軽々しく口にしたら、それは会話だけで終わるわけがない。
周りにいる黒服の男達に一瞬ばかり視線をやれば、綱吉はそれだけで理解したらしい。僅かに悲しげに顔を歪ませはしたが、直に苦い笑みを浮かべて揺るく首を振ってみせた。
その様があまりにも苦労しているように見えて、なんだかディーノも疲れた心地だ。
「お前んとこは大変そうだなぁ…」
「まあ…わかってたことですし、もう慣れましたよ」
あははと、零れた笑いはその歳にしては枯れている。少しはボスのことを労わってやれと、今度骸に会った時に進言してやろうと思いながら、ディーノもつられるように笑ってみせた。




(2008/12/10)




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