ハッピーバレンタイン!




背中から伝わってくる体温が、酷く恥ずかしい。
とく、とく。一定の心音を憎らしいと感じるのは、自分の心臓が全力疾走した後のように跳ねているからだ。
「む、むくろ…!」
沈黙と、なんだかぬくまっている雰囲気に耐え切れずに後ろにいる相手を呼んでみたが、掠れた声しか出てこない。
情けなくてさらに顔に熱が上がる。
「なんですか?」
耳の後ろ。冷たい部分に温かくて柔らかなものが触れる。背後にいる骸が喋る度に、吐息やら唇やらが掠めるのだ。
その度にぞくぞくと、背中を駆け上がるものがあるか
ら綱吉は困った。
背後の骸を振り返る勇気も無いので、ただ身を縮こまらせていることしかできない。逃げようにも、後ろから回された手が腹の上で組まれてて、綱吉が動くのを阻止している。
どうしてこんな体勢になっているのかというと、綱吉にもよくわからない。怖がっていたり恥ずかしがっていたり少しばかり嬉しがっていたりしている間にこんな体勢になっていたのだ。
流されすぎている。
「は、離して、くれないかなあ!」
「何故?どうして?」
「ど、どうしてって…お、おかしいよ、こんな」
綱吉と骸は敵対しているはずだ。状況によっては仲間になることもあるけど、基本スタイルはいつだって綱吉の体を乗っ取ろうと狙っている。
だから、なるべくなら骸と二人きりにならないように、とは過保護すぎる友人から。隙を見せるなよ、とはスパルタな家庭教師から言われていた。
というのに、今、二人きりでしかもぴたりと隙間なく密着している。
可笑し過ぎて、さっきから綱吉は何も言えずに俯くばかりだ。
視線の先には、細くて長い、だけど綱吉よりもずっと大きい手が組まれている。なんだか、指先の白さにどきどきしてしまう。
「おかしいですか。僕と君が、こうしていると」
「お、おかしいに決まってる、よ…。だって、骸さん俺の事嫌いなんだろ…?」
「別に、嫌いなんかじゃないですよ。憎くて仕方ないマフィアのボスなだけで、嫌いじゃないんです」
くすくすと、吐息だけの笑いに混じる声の甘さに、かっと顔に熱が集まる。
肩が震えたのが、密着している相手に伝わらないはずがない。敏感なんですね、と囁く骸に恥ずかしいやら怖いやらで変な汗が出てきた。
やっぱり、今日の骸は変だ。
「君は、…綱吉、くんは。僕が嫌いですか?」
ぐ、背中の圧迫感が増す。なんだかもう、他人の体温だとか包まれている感触だとかを気にする余裕さえ無くなってきた。ただ痛いくらいの骸の力に、綱吉の思考は鈍くなるばかりだ。
「き、嫌いじゃ、ないよ」
「嘘です」
断言を即答した骸に、反発しようと首を捻るが視界に入るのはさらりと流れる髪だけだ。
不思議な色合いの髪は、蛍光灯の下だとなんだか作り物めいて見える。
夜に見る骸の髪が一番似合っているなと、考えてしまうくらいには、綱吉の思考も曲がってきた。
様子のおかしい骸につられているのかもしれない。
「嘘じゃない。ほんとに、その、嫌いとかじゃなくて…」
「嘘ですよ。嫌いじゃないんだったら、何で僕を見る度に、」
何かを飲み込むように、言葉が止まった。
骸の口調が少し早い。いつものような、流れるような言葉じゃなく、思いつく限りに喋っているような感じだ。
だから纏りが無くて、まるで切羽詰っているようにも聞こえる。肩の部分に顎が乗っているせいで、喋る時に僅かにだが骸の体が震えているのがわかった。
もしかしたら、こうして触れ合ってることに緊張しているのは綱吉だけではないのかもしれない。
何かを飲み込むように、言葉が止まったまま骸は黙ったままだ。
続きをせかすにしては、抱きしめる力が強すぎて綱吉からは何も行動が起こせない。突発的なことにとことん弱いのだ。
それに、流されやすい。
ぎゅ、っと逃がさないように腹の前で交差された腕に、つい手が伸びる。肌に直接触れているわけではないけど、伝わるものは直情的だ。
時折首の裏を掠める唇が、綱吉の名前に動いているから、寝ているわけではないのだろう。
もう恥ずかしすぎて、触れ合っている箇所については考えないようにした。
「骸、さん。あの、本当に、嫌いとか…そういうんじゃなくて。ちょっと、その…苦手、というか…」
震える声でも、骸の抱いている誤解を解きたかった。
誤解、というよりも思い込みかもしれない。いや、もしかしたら綱吉の表情も行動も言動も、骸の云う通りに嫌った相手に対するものになっているのだろうか。
ばくばくと、心臓の音が煩い。
震える喉をなんとか抑えながら、口を開く。
「で、でも!傍にいたくないとか、話をしたくないとか、そういうんじゃなくて、」
「はい」
「っ、む、むしろ骸さんの方が、俺のこと顔見るだけですごい嫌そうな顔してるし、こ、殺してやりたいとか言ってるじゃないか…!」
「ええ。今でもマフィアなんて殺してやりたいと思ってますよ。この世から僕が消してあげるつもりです」
すう、こめかみに当てられた唇が、細くと息を吐き出した。かすかに甘い香りが鼻を擽る。先ほど、母親は友人たちから貰ったチョコを骸も食べていたから、その匂いだ。
痙攣したみたいな痺れに綱吉は思わず目尻に涙を溜めた。決して云われた言葉に傷ついたのではないと、思いたい。
きっとこんな体勢だから。心臓の音が聞こえるくらいに近くにいるから、勘違いしているのだ。
骸と触れ合うくらいには、近い距離にいるのだと。
腹に回された長い指が、時折綱吉の腹を服の上から撫でていく。
「だけど、君が消えるのは嫌だなと思います。こうやって抱きしめていたい。声を聞きたい。…触りたい」
ぐぐ、と上体が前に傾く。後ろから体重をかけられたせいだ。重い、と言うにはこの部屋の空気は濃い気がする。
なんだか、言われている言葉とか声の深さにまるで自分が女の子になった気分だ。
これ以上ないってくらいに、優しくされている。愛の言葉を囁かれている。
初めての経験すぎて、綱吉の体はどこもかしこ震えてばかりだ。
「ねえ、もっと。もっと僕の名前を呼んでください」
「…くろ、ッ!」
ちゅ、っと頬に唇を当てられて、綱吉は叫ぶみたいにして骸の名前を呼んだ。ひっくり返った、無様な声に視界が本格的に歪む。
もう今の状況に疑問を抱く余裕さえない。流されるまま、骸の言うまま。
それでも、無くならない違和感はやっぱりある。
どうして、こんなことに、とぶれる視界を少し上げた先。机の上に置かれているチョコレートの箱たちが目に入った。
包装紙が開けてあるのは、ハルから貰ったウィスキーボンボンが入っていた箱。もしかしたら、あれを食べたからこんなにも熱が高くなってしまったのかもしれない。ほんの僅かでも、アルコールに変わりない。
くらり、眩暈を感じたと同時に柔らかな感触が背中に当たった。見慣れた天井と、首筋に顔を埋めている骸の特徴的な頭部が目に入る。
今日はバレンタインで、例年にないくらいにチョコをもらえて(くれたのが女の子だけじゃなかったのは少し複雑だけれど)表情筋を緩ませて返ってきた部屋に、リボーンに呼び出された骸がいたのだ。一言二言。短い、業務連絡みたいな言葉を交わして、気まずさと空気の重さに耐えられなくて貰ったチョコを少し分けた。確か、甘いものが好きだとクロームが言っていたのを憶えていたのだ。
見た目と性格と行動に似合わない好みに可愛いところもあるな、と骸に対しての認識を緩めたきっかけだった気がする。
けれども、こんな風に自分の根っこを曝け出すみたいに、気を許した筈ではなかったのに。
「綱吉君、…つなよし、くん」
まるで喉に何かが詰まったような、不明瞭な声に名前を呼ばれる度に眩暈が酷くなっていく。こんなチョコひとつで酔っ払ったなんて、リボーン相手に知れたらバカにされるだろうんと思考が及んだところで、はたと気がついた。
骸も、ウィスキーボンボンを食べていた。中からあふれ出す酒にこういうのも美味しいですね、とどことなく嬉しそうにしていた。
それからだ。骸の様子がおかしくなって、あれよあれよという間にこんな状況に追い込まれたのは。
「む、骸さん?!もしかして酔ってるんですか?!」
整った顔立ちでいつも平坦な表情を浮かべている人だ。中学生には見えない、大人びた相手がまさかあれしきのアルコールで酔うとは思えなかったが、こちらを覗きこんでくる顔は風邪を引いてるみたいに熱っぽい。
濡れた色違いの瞳に見下ろされて、綱吉は骸の顔がうっすらと赤いのはチョコのせいなのかそれともこの状況のせいなのかわからなくなってきた。
「酔う?ええ、酔ってますよ。君に、ずっと」
あんまりのあんまりな台詞に思わず突っ込みそうになったが、じとりと浮かんだ額の汗だとか、濡れてる唇だとか色味を増した瞳だとかが、綱吉から言葉を奪っていく。
視界に飛び込んできた光景は、まだキスさえも済ませていない中学生男子には強烈すぎた。
「む、くろ…」
「好きですよ、綱吉くん」
うっとり、自分の口から出た甘い声に後悔するのは、それから数時間後の話だ。










(2009/02/15 blogより)




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