サ イ レ ン 01




六道骸が動いている。
そう家庭教師から教えられたのは、並盛を遠く離れた山里近くに来た時だ。長期の休みに入り、存分に惰眠を貪ろうという綱吉の望みは、休みの初日からまだ陽も上らぬ前から叩き起こされた時に断念した。
覚醒しきっていない頭で言われるまま引きずられるままに黒服が運転する車に乗り込み、ほとんど意識を飛ばしていたような車内から降りてみれば、山間を走る道路の真ん中だった。
あんぐり、と口を開けていいると、後ろから蹴りと共に先ほどの言葉だ。
痛みに後頭部を撫でながら、涙目で赤子を―リボーンを振り返る。
黒い山高帽に小さな体にあった小さなスーツ。首から提げている黄色いおしゃぶりだけが奇妙に大きく目に映る。奇抜とも言える服装にも、挨拶代わりの攻撃にももう慣れた。
そして、唐突に言い渡される修行という名の拷問にも、嫌でも慣らされた。
が、それでも不満が無いわけではないのだ。
いてえ、と呟きながら口を尖らせる。大きな、きらきらとした瞳が怖いが、口を出さずにいられないのはもう性分みたいなものだ。
「で、骸とおれがここに連れてこられたのと、何の関係があるんだ?」
「この山を越えた向こうにひとつ村がある。ちいせえ村だが、そこに骸が向かったっつー情報が入った」
ん、とリボーンが手のひらを差し出すと、黒塗りの車を運転していた黒服が書類の用なものをその小さな手に乗せた。サングラスをかけているので目は見えなかったが、きっとマフィア関係の人なんだろうという予測は簡単につく。敢えてその黒服には触れないようにしながら、綱吉はリボーンの手元にある資料を覗き込んだ。
きちんとクリップボードで纏めているのが、形から入るリボーンらしいといえば、らしい。
プリントアウトされた文字列の中に、何枚かピントの合わない写真が貼られている。そこに写っているのは霧の守護者であるクローム髑髏と、城島犬、柿本千種だ。古びた路線バスの、車内にいるのを遠目から撮ったような写真だから顔までは見えないが、知っている人間は見ればすぐにわかるような写真だった。



リボーンと出会ってから、よくよく遠出をする機会が増えた。学校の遠足や旅行程度でしか並盛を出たことのない綱吉だ。見慣れない景色に囲まれていると、どうにも落ち着かない気持ちになる。
目新しさを愉しい、と思うよりは、怖い、と感じる方が大きい。家庭教師曰く、小心者だという事だが、慎重な人間は生き延びるのも長くなる。マフィアの幹部連中はみんな小心者だ、と笑われてどうしろというのか。
リボーンのことだ、慰めなんて優しい心ではないことはわかりきっている。マフィアに向いている、ということを言いたいのだろう。
ニヤニヤと赤子らしからぬ笑みを見ていれば、嫌でもわかる。それくらいには、長い付き合いだがやはり慣れることは無く。
「じゃあしっかりやれよ」
「え?!俺一人なの?!」
与えられた突然の課題にため息をこぼしている間、気がつけば黒スーツの赤子はその服と同じ、漆黒の車に乗り込んでいた。
スモークガラスが下がり、帽子を押さえたリボーンが顔を出す。その口の端が上がっているのを見て、さっと顔から血の気が下がった。
この顔は知っている。楽しんでいる顔だ。
「リ、リボーン?!マジで?!え、本気で俺一人?!」
「獄寺と山本は違うルートから行ってもらってるからな。こっからはお前一人で行け」
「一人って…!山じゃんか!道無いじゃんか?!」
必死に車のドアにしがみ付き、懇願するが、ニヤリと笑う家庭教師の顔に今度こそ絶望しそうになった。
いつの間に出したのか、額に当てられた銃口が冷たく痛い。
込められている弾が死ぬ気弾だということはわかっていても、本物の銃を前にすると体が竦むのは本能だ。
「その、すぐ銃突きつける癖やめろよ…」
「無理言うな。こいつはもう俺の手みたいなもんだからな」
「そんな手は嫌だ!」
反響するものがないせいか、叫び声がよく通る。しかし、目の前の家庭教師には届かないようで。
「遅れたら殺すからな」
チャオ、と円らな瞳に別れを告げられ、綱吉はもう色々と諦めるしかない。
了承の言葉を返す前に走り出した黒い車を見送った後、背後にそびえる大自然の景観に深い深いため息が零れた。


六道骸が、復讐者の檻に入れられてから数ヶ月。仲間を脱獄させた代わりに檻の深奥へと移された彼も、流石に水牢に入れられ、能力を封じられてしまえば、一人では何もできないようだ。
それでも、例え幻影だとしてもその威圧感は衰えなかった。
ひやりとした冷気を放つ、あの姿を思い出すだけで寒気が走るくらいには、綱吉にとって衝撃的な登場だった。
その六道骸の部下が、この山を越えた先にある、とある村に向かっているという。
リボーンからの情報だ。確かなことなんだろうけど、それが今自分の陥っている状況を納得させる材料にはならない。
山を走る道路から、リボーンに示された道を通って既に三時間。指輪争奪戦で鍛えられた身でも、舗装されていない獣道を歩くのは困難を極めた。
正直言って、もうギブアップしたい気持ちだ。
(なんで、俺ばっかり、こんな、目、に!)
愚痴を口から溢せた余裕も山を登り始めて数十分だけだった。がたがたと隆起の激しい山道は綱吉の予想以上に体力を使い、気力も奪っていく。
ハアハア、と自分の呼吸が耳に煩い。鬱蒼と茂った木々に空を覆われているせいで視界が薄暗いのもまた、綱吉から気力を奪っていく要因だ。
昼を少し過ぎたあたりだというのに、陽の光が届いてこない。木々が開けた所で空を見上げて、太陽を覆う曇天にこちらの気持ちも重くなりそうだった。
(夕方になる前に着かないと、何にも見えなくなりそうだ)
道先を示す看板もない、ただ人が通ってできた細い道があるだけ。家庭教師が猟師の使っている道と言っていた通り、その部分だけ草が生えていなかったり、木の枝が切られていたりと、残された人の痕跡が綱吉の心を幾分だが安堵させた。
(誰でもいいから、人に会いたい…!)
獣のものらしい糞や、甲高い動物の鳴き声に怯えているせいか体力の減りも早い。
ひゅ、と吸い込んだ空気に咽たところで、綱吉は休憩することにした。
遅れるな、とリボーンの言葉が頭を過ぎったが、到着時刻については何も言われていないのだ。また何か言われたらそう反論しよう、と近くにあった程よい大きさの石に腰掛けた。
ほとんど寝起きの状態で連れてこられたものだから、勿論飲み物やタオルなんてものは持っていない。
所持品は反射的に掴んだ携帯と家の鍵。携帯はまだしも、家の鍵って、と自分の手のひらにある持ち物にため息が零れた。
携帯を開いてみてやっぱり、とさらに項垂れる。
「電波無い…」
表示されている時刻は、いつもならば母親がおやつだと何か菓子を作っている時間だ。台所から香ってくる甘い香りに、いつの間にか綱吉の家に住み着いている子供達が歓声を上げ、次いでリボーンを胸に抱いたビアンキが姿を現す。
少し前までは、綱吉と母親の二人だけだった。明るい性格の母親のお陰で、父親不在の家を寂しいとは思わなかったが、こうしてリビングが人で埋め尽くされている光景を見ると、腹の置くがむずむずとした。
住民が増えたせいで、前よりも食事の支度を忙しくしている母親の愉しそうな笑みについ綱吉の顔も綻んだ。
リボーンが来てから大変なことばかりが増え、それに比例して胃の痛みも増えた。けれど、それ以上に感謝しきれない事の方が多い。
友人も出来て、以前の『ダメツナ』に比べれば少しはまともな根性になった、と思う。それでも素直にありがとうと言えないのは性格もあるし恥ずかしさもあるし、それに。
「こんな事されて嬉しいわけあるか!」
怒りか寂しさか、ふるふるとこみ上げてくる激情に思わず上げた声は、誰に届くことなく山の奥深くへと消えていった。



村に辿りついたのはそれからさらに二時間ほど。
雲越しにも陽が沈みかけているのがわかる。夕刻だった。
うっすらと赤い色が空だけでなく木々を染めていく景色の中で民家を見つけたときには泣いてしまいそうだった。
わずか数時間の登山ではあったが、本来が怠け者である綱吉にとっては拷問だ。立っているだけでがくがくと震える足の感覚はとうに無い。既に惰性で動いているような足だ。座ったらもう立ち上がれないだろう事はわかっていたので、もう無理だとは思いながらも足は折らなかった。
これも家庭教師のお陰かと喜ぶような性格ではないし、状況でもない。無常にも水も現在地を示すGPS機能搭載の携帯(兄弟子であるディーノが持っているのを見て至極羨ましく思ったものだ)も持たさずに弟子を山に放つ師匠だ。
口許が歪む程度は、勘弁してほしい。
呼吸もまだ整っていない状態だが、やっと見つけた人の痕跡に、よろよろと倒れそうになりながら、もうぶつかるみたいにして民家の戸を叩いた。
「す、すいません…」
からっからに乾いている喉から漏れ出たのは声にならない、しゃがれた音だ。小さく咳払いをしようと喉に力を入れたら、連続して激しい咳が出た。
苦しさにじわりと目が潤う。情けない様に膝を折りそうになったが、流石に人の家の前でうずくまるわけにはいかない。
もう一度、今度は全体重をかけるみたいにして戸を叩く。
「すみません、あの、誰かいませんか?」
今度は少しマシな声が出た。
水でも貰えればいいな、と思って幾度か戸を叩き、声を掛ける。が、誰かだ出てくる気配も、家の中で何かが動く音さえしない。
留守か、とわかったところでがくりと体から力が抜けた。行儀が悪いとは思ったが、戸に背をつけ、ずるずるとその場にしゃがみ込む。
一気に気が抜けたせいか、眠気まで襲ってきた。
「もう家帰って寝たい…」
夜の気配が迫ってくる空模様を見上げて、なんだか泣きたくなった。このまま膝に顔を埋めて、誰かが迎えに来てくれるまで待っていようかとも考えたが、後が怖い。
それに、リボーンは獄寺達もこの村に向かっているという。もし、こんな姿をあの盲目的な友人に見られでもしたら。
(…煩いだろうな)
安易に想像できる。なんだかそっちの方が面倒くさい。体の疲労と、精神的な煩わしさを天秤にかければ、どちらを取るかなんて決まっている。
「よ、っと…」
ふらふらと、震える足を叱咤してなんとか立ち上がる。辛くはあったが、動けない程ではない。と、思い込む。
ぐるり、民家の周りを半周して舗装された道に出る。山を越えてすぐの場所だ、急な下り坂の先にはぽつぽつと古めかしい木造の建物が見下ろせる。
そうだ、とズボンのポケットに入れていた携帯を開いてみたが、相変わらず電波は無い。まさか村にまで電波が届かないとは、考えてもみなかった。
項垂れたくもなる。
「…とりあえず、誰か探そう…」





(2009/06/08 blogより)



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