純情色バニラ




部活の練習中に、怪我をした。
レギュラー選抜の紅白試合。足を縺れさせた同級生に巻き込まれる形で転倒したら、右足の骨にヒビが入っていた。
歩くのもままらない状態だ。暫く入院、と言われた時には辟易したが、病院のベッドで友人が持ってきた大人向け雑誌を読んでいる時に入ってきた医者を見て、頭の中で鐘が鳴った気がした。
俗に言う、一目惚れという奴だった。
ほかほかと、窓から差し込む陽気にうとうとする。新学期に入ったばかりのこの時期。まだ風に冷たいものが混じることはあるが、こうして室内にいる分には陽の温かさしか感じない。
昼間から寝ていられるなんて贅沢だなあ、と柔らかな、薬品の匂いのするベッドに半身を倒す。枕元に備え付けの棚の上には、差し入れだという名の友人達のおふざけ物が山となっている。
山の上にある雑誌をひとつ手に取る。表紙からして布地の少ない水着できわどいポーズを決めている女の子の写真だ。まあ、表紙がそうなのだから、中身もおして知るべし。
ぱらぱらと、寝転がりながら顔の上で雑誌を読む。
(つまんない、なァ)
貰った雑誌は当に読み終わっている。家から持ってきた携帯ゲームもクリアしてしまった。はあ、溜め息を吐き出して持ち上げていた雑誌を顔に上に落とす。インクの匂いに眉を寄せたが、視界が暗くなるのは中々よかった。
ぱたん、腕を腹に置く。眠るには睡眠は足りている。つまり、暇だった。
ちらり、雑誌の隙間から見える置時計を見る。まだ昼間だ。長い一日を思って溜め息を吐き出す。雑誌のページが少し動いたが、顔の上には乗せたまま。
暫くそのままの体勢でいると、不思議な事に瞼が重くなってくる。十分寝ている筈だというのに、人間の体というのは視界が暗くなると眠くなるものらしい。
どうせすることもない。今日は平日だ。見舞いが来るとしても、学校が終わる夕刻…。うとうとと、暖かな陽気と、ふかふかのシーツの感触を味わっていると、病室の外、静かな廊下に響く足音が聞こえてきた。
少し、体に力が入る。意識して、体を動かさないようにもする。
がら、ドアが開く。病室の入り口で、僅かに立ち止まった後、足音は真っ直ぐにこちらへと向かってきた。
視界の隅に白を確認して、咄嗟に目を閉じる。と、一瞬後に顔の上に乗っていた雑誌が取り払われた。
瞼越しに、陽の暖かさが眩しい。
「…狐の癖に、狸寝入りは止めてください」
「骸せんせぇ酷い」
頭の上から降ってくる低い声にたまらず笑いが零れた。
眩しさに耐えるように、うっすらと目を開く。呆れた顔でこちらを見下ろしているのは――この病院の医師、六道骸だ。
ノンフレームの眼鏡越しに見える二色の瞳をうっとりと見上げる。赤い右目と、蒼い左目。先天性だとは、担当医師として初めて出会った日、じっと顔を見つめている自分に向かっての言葉。
恐らく、何度も説明してきた事なのだろう。入院時の注意と同じトーンで言われた言葉に初めて医師の瞳が左右で色違いだと知った。
ぼう、っと顔を見ていたのは瞳の色にではなく、美しい相貌に目を奪われていたからだ。
頬に陰りを作るほどに長い睫。細くすっと通った鼻筋。うっすらと赤い色味の薄い唇。
自分の好みの塊みたいなのが、目の前にいた。次の瞬間から猛烈に口説き始め、今日で一週間目だ。
手にした雑誌を嫌そうに抓んでいる顔に、つい手が伸びた。
「今日も来てくれたね、先生」
「ただの検診です。…触らないでください」
指先で白衣を引っ掻くだけで逃げられる。ちえ、と唇を尖らせれば、重苦しい溜め息を吐き出す。少し疲労を交えた顔にぞくぞくと脳が痺れた。
反射的に逃げる白衣を追い、半身を起こす。掴んだ手首の細さに美味しそうだなあと思う。
「触るな、と、言ったでしょう?」
冷ややかな視線に、口の端で笑ってみせれば、ち、っと舌打ちを漏らす。端正な顔立ちに似合わない、下品な仕草が板についている姿も、見ていて愉しい。
ぐい、掴んだ腕を引っ張る。が、突如体を襲った痛みに体を震わせた。
雑誌で吊られている足を叩かれたのだ。
「君だけに構っている暇は、僕にはないんです。大人しく、いい子にしていてください」
びりびりと、体の芯に伝わる痺れに耐えて、ベッド脇に立つ医師を見上げれば、勝ち誇ったような笑みを向けられた。つい声が出る。
「先生って、可愛いよね」
「…白蘭君、」
「白蘭。呼び捨てでいいって言ってるのに」
「…白蘭『君』。君、いい加減にしませんか?暇なのはわかりますけど、僕に構うのは止してください。これ、何回も言いましたよね?」
「無理だよ、僕骸先生の事好きだから」
すい、と白衣から伸びる手を引き寄せ、指先にキスを送ろうとしたが、すごい勢いで手を引かれてしまった。
残念。肩を竦めれば深い深い溜め息が落ちてくる。かすかな息遣いさえ甘く聞こえてしまう自分には無意味な抵抗だと、いつになったら気づくのだろうか。
差し入れで貰った雑誌よりも、不快だとばかりに寄せられた眉間の皺のほうが魅力的に見える。
誰にも言ったことはないが、これが初恋だった。





(2009/06/08)




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