昼ごはんと屋上 少し休憩だ、と鞭を下ろした相手に遠慮なく一撃を加えようとしたが、ぐいと差し出された紙袋に意表をつかれた形で、雲雀は構えていた武器を下げた。 楽しみを中断され、下降する機嫌にゆらり右手が揺らめく。相手が降参するように掲げている両手が無ければ手加減せずに鉄の武器を打ち込んでいただろう。 通常時より、僅かに乱れた呼気の合間に不機嫌の色を滲ませた声で問えば、見目の派手な男はひらひらと軽い仕草をしてみせた。 「なに」 「昼飯。部下にお前の分も買わせてきたから、一緒に食おうぜ」 な、と邪気の無い笑顔と共に差し出された紙袋にさっと視線を流す。 茶色の紙袋に書かれているのは、学校付近にあるパン屋のもの。以前部下が昼に、と差し出してきたから、雲雀の記憶にも新しい店名だ。 ひょい、と目の前の紙袋を男の手から引っ手繰り、そのまま屋上から去ろうとしていた雲雀の背に、慌てたような男の声が追いかけてくる。 「ちょ、おい!待てよ!」 「何?」 「それ、それ!俺の昼食も入ってるんだけど?!」 「だから、それが何?」 ぐ、と。喉で声を詰まらせる男の反応に、珍しく気分が上昇した。 ほら、と紙袋を顔の位置に上げて横に振ってやれば、金髪の男はまるで催眠術をかけられているように視線を横にスライドさせた。まるで自分が操っているように思えるのは、気分が良い。 俺の方が年上だからな、と事あるごとに自分の方が目上であると云ってくる相手に、ちょっとした意趣返しのつもりの行動ではあったが、予想以上に自身の気分を満足させる。 唇を尖らせて、拗ねている風情を露にする男に軽く視線を流すと、返せとばかりにこちらに手が伸ばされてきた。ひらり、その手を避ける。 鞭を握っていないこの男の動きは何故か遅い。 切り替えの早さに毎回驚かされるが、一体どういった基準で行動に制限をかけているのか、気になる所ではある。部下がいない場面においても、この男は普段の俊敏さと狙いの正確さが全く違ったものになるが、一体その切り替え判断はどこにあるのか。 そして切り替える前と後との落差の激しさは呆れる程だ。 「恭弥」 まるで子供を嗜めるような声で名前を呼ばれた。自分のほうが、拗ねた子供のように唇を尖らせているというのに、その喋り方は不快だ。 途端に、まるで戯れのように男と向かい合っている状況が馬鹿らしく思えてくる。 自分よりも下にいる相手がこちらの隙を窺う仕草は嫌いではないが、下だと思っていた相手にまるで子供のように扱われるのは大変気に食わない。 手にした紙袋からは食欲をそそる匂いがしたが、雲雀はそれほど食に貪欲ではないので、あっさりとその手を放した。そのせいで茶色の紙袋がべしゃりと音を立てても、雲雀の興味は既にそれには無い。 「ああ!!何すんだ!」 俺の昼食、と情け無い声で足元で潰れている紙袋を追って膝をついた男の頭を殴ろうと武器を振る。 自分に傅くような格好が、気に食わなかった。 噛み殺した後に自分の足元にひれ伏しているのなら満足できるが、相手が自主的に弱い素振りを見せるのは嫌いだ。 ぶん、と風が音を立てる前にトンファーを相手の頭にめり込ませる予測だった。のに、振り下ろした先に黄色の頭は無い。 尻餅をついた姿勢で攻撃を除けた男を睨みつける。その手に握られている茶色い紙袋にも、何故か怒りが湧き上がってきた。 「おま、それは反則だろ?!」 「何が?」 ずり、と尻を擦ってあとずさる男を追って腕を振るう。動き辛い体勢の相手にしては容赦の無い速さだったが、男は金色の髪を僅かにトンファーに当てるだけで雲雀の攻撃範囲から逃げていった。 む、と。思わず唇を噛む。 先ほどから自分の思い通りに事が運んでくれないのが、不快だ。 「あああぶね!ちょ、たんま!ストップ!」 片手で制してくる男にそのまま踏み込む。じゃり、とコンクリートの欠片が足の下で砕けた。 尻をついたままの男が慌てたように片手を上げるが、武器である鞭は未だに腰に差したままだ。戦う意思が無いことに、さらにむっとする。 「ねえ、そのまま咬み殺してあげようか?」 後一歩、雲雀が踏み込めばへなりと情けない顔を浮かべている男の顔面に武器が叩き込める距離で、低く、笑いながら告げてみせる。挑発に乗るような相手ではなかったが、無視できるほど、血の気の少ない男ではない。 ここ暫く、男と対面してきた雲雀が学びたくもないのに学んだことだ。 現れるなり雲雀の家庭教師だとほざいた男から、雲雀は確かに多くのものを得た。 しかし、その大半は脳内から切り捨てたい、いらないものばかりだ。鞭を武器とする相手へのいなし方、立ち向かい方は、まあ、役に立ててもいい。しかし男が飼ってるペットがエンツィオという名前で水を吸うと巨大化するなんてことは、雲雀の人生においてもっとも無駄ともいえる部類の知識だ。 教えられることなど、一つもない、とはここ数日の自身の動きをわかっている分、明瞭には云えない事ではあるが、かといって目の前でへらへらと緩い笑みを浮かべて雲雀の機嫌を取ろうとしている男を、師と仰ぐ気など更々無い。 むしろ、咬み殺したくて仕方がないというのに、攻撃を鞭でいなされると同じように、殺気を相手のペースで乱されるのは気に障った。 そして、今も男は分かり易い雲雀の挑発をへらへらと緩い顔で誤魔化そうとしている。手には昼食の入った紙袋。 なんだか、平和だ。凄く平和だ。 認めたくはないが、きっと傍からみたら雲雀もその平和な風景の一部になっているんだろう。 気に食わない。 「な、きょーや。いい加減諦めて飯、食おーぜ?」 ほわほわした、柔らかいそのものみたいな男が笑うと、まるで雲雀も柔らかいものになった気がするから。 本当に、気に食わない。 (2008/12/01) |