鳥さんこちら




 よ、っと残り僅かな階段を一気に飛び降りる。勿論、着地の際に盛大にこけるのはもう仕様だ。この学校だと何故かディーノは良く滑ったりこけたりする。
 なんでだろうなあ、腕を組んでみるが、冷えた床はすぐにディーノの尻を冷たくしていく。
 先ほどから何度も床に打ち付けている尻は痛みを通り越してじん、と重い痺れを伝えてくるだけだ。
いてえ、と人の気配の全くない踊り場でぼやく。遠くグラウンドから声が聞こえてくるが、校内に残っているのは極僅かなようで、校舎内を上へ下へと逃げている間に誰一人とも擦れ違わなかった。これも風紀委員の効果なのだろうか。
 風紀委員長である、雲雀の事だ。授業が終った後にも教室や廊下に残り、愉しく友人たちと会話している生徒達を群れているという理由だけで校門の外へと放り出しそうだ。そしてその想像は概ね合っているのだから、この学校の異常性はディーノの感覚でも飛びぬけている。
 この学校の在学生はそのことを不思議に思わないのだろうかと、滑りやすい廊下を一気に走り抜けながら思う。たん、とかすかな音でさえも響く作りの校舎に舌打ちが洩れそうだ。
 一応、追いかけてくる相手から身を隠す側としては、なるべく音を立てないようにしたい。きゅ、角を曲がる際に鳴る靴音が奇妙に間抜けで、ディーノはなんだってこんな日にこんな事に、と自分の置かれている状況を嘆きたくなった。


 仕事の息抜きだと、初めて任された弟子に会いに並盛の町を訪れたのは既に夕刻。校門前に車を横付けした頃にはグラウンドにいる部活動の生徒以外はほとんど帰宅した後だった。いつもならば不審者が入らないように、と校門前に最低二人は立っている風紀委員の姿が見えないのを珍しく思いながらも、応接室までの道程を慣れた足取りで進む。
 途中、グラウンドで青春を謳歌している山本に挨拶を交わしながらゆったりと進むのは、目的地にいる相手からの第一声を想像したからだ。機嫌が良かったらまず軽い挨拶。機嫌が悪かったら問答無用でトンファーが本人ごと飛んでくる。
 どちらにしても、戦いを挑まれるのは分かりきったことなので、結果を考えてしまえば同じなのだが、やはり最初に挨拶を交わせるかどうかは重要だ。
 元家庭教師から頼まれた任務を終えた後、日本で新しく起こした事業の関係で並盛町まで足を運ぶようになったと云っても、元弟子に会える確率はそう高くない。ディーノが毎回雲雀に会いに行くこともないし、尋ねたとしても相手が不在の場合もある。
 他の生徒は授業中で大人しく教室にいるというのに(時折サボタージュ途中の獄寺を顔を合わせることもあるが)何故風紀を守る委員長自身がいないのか。
 日本の学生生活を詳しく知らないディーノは風紀委員というのはそれを許された立場なのかと最初認識しそうになったが、それは弟弟子である綱吉の否定で改めることとなった。
 風紀委員長だからではなく、雲雀恭弥だから。なんじゃそりゃ、と思う程、その時のディーノは雲雀を知らないわけではなかったし、弟弟子の諦めた表情に笑いを誘われていた。
 自分の弟子をはじめて見た時は、随分と細っこい幹部候補だと驚いたものだが、よくよく考えてみれば歳若いボンゴレ幹部候補の中でも一番小さな体なのは未来のボスである綱吉だ。こんなのでマフィアなんざ勤まるのか、と考えるよりも先にこんな小さな子にリボーンの弟子が勤まるのかと心配になった。
 それでも、なんとかあのスパルタについていってるようなので、自分の心配は杞憂にすぎないのだと分かったがそうすると目下ディーノ心配、というか不安先は初めての弟子だらけになる。
 誰もいない廊下を歩きながら、自然と溜息が洩れ出てくる。
 付き従っている長年の部下が問い掛けるようにボス、と呼んでくるのに何でもないと答えて、いいや、と更に否定の言葉を続けた。何でもないわけではないのだ。いつだって、ディーノは『何か』を抱えている。
 「並盛にいるんだったらホテルはこっちだな。いつもの駅前の所でいいか?」
 「ああ、いつもんとこでいい。いきなりツナんとこ泊まるっつったら向こうも困るだろうしなあ」
 「唯でさえ居候が多い家だからな。ボンゴレ十代目も困るだろうよ」
 じゃあ取っとくぜと、電話をかけ始めた部下を置き、応接室のドアを開いた。たとえ一人であろうとも、部下を連れて入るとトンファーが飛んでくるのだ。
 一度経験して以来、用心して一人で入るようにしている。
 ドアを引くのと同時にドアをノックするのは、前もって弟子に攻撃の準備をさせない為だ。あと、ノック無しで入った時に礼儀知らずと呆れられた為だ。
 あんな冷たい目で見られて、平気でいられる程ディーノ心は強くはない。
 「恭弥ー…?」
 ぐるり、室内を見回してみるが黒い制服を肩に掛けた姿は見当たらない。
 念のため、机の裏側も見てみたが、綺麗に磨かれた床があるだけだ。
 見回りに行っているのかもしれない。
 もしくは屋上か、とも思ったが、寒い時期にわざわざ外に出たがるとは思わない。それほど寒さに強い質ではないのだ。
 じゃあ、帰ってくるまで待っていようかとソファに腰を下ろしたところでドアが開いた。
 「…勝手に入らないでくれる?」
 冷ややかな眼差しが呆れた色を浮かべているのに、苦い笑みが浮かぶ。なんだか、この少年にはいつもそんな顔ばかりをさせている気がする。
 よお、と挨拶のために上げた右手が行き場を無くしたのは、応接室に足を踏み入れた途端に武器を構えた弟子の姿を見たからだ。
 にい、口の端が上がるのを見て反射的に腰を浮かした。
 「今から百、数える」
 「へ?」
 「その間どこへ逃げても自由だよ。学校の外でもいい。でも、並盛を出るのは駄目」
 「え、な、何?何の話だ?」
 くるくると、武器を軽く回すのは機嫌のいい時だ。
 先ほど一瞬浮かべた嫌そうな顔はなんだったのかと言う位、愉しそうな顔に腰が勝手に引ける。
 いつも唐突な発言の多い雲雀だが、どうやら本人なりの繋がりがあるらしい。だが、あまり口を開かない性格も相まってその発言も行動も他人にとってはぶっ飛んで聞こえる。
 なんとなく、こうだろうなあという予測がつけられる時もあるが、大抵は理解できないままだ。
 じりじりと、雲雀の横を大きく迂回しながら廊下に出る。納得はできずとも、行動に移すのは経験上雲雀の言葉は絶対だからだ。
 「な、なあ恭弥」
 「一、二、」
 「俺実は今日な、」
 「三、四、五…面倒だな、やっぱり十にするよ」
 「ずりぃ!!」
 指の半分が折れたのを見終わる前に、ディーノは雲雀に背を向けて走りだした。



 それからずっと校内を逃げ回っている。
 最初は雲雀一人だったが、気がつけば学生服の集団にも追われていた。ずるい、と叫ぼうにも声を上げただけで見つかってしまいそうなので、心の内だけで留めておく。
 きゅ、きゅ、と緊張感の無い音に気が抜けそうになる。どうせならこのまま座り込みたい。冷たくて硬くて汚い床だが、今のディーノには酷く魅力的だ。
 近くに人の気配が無いのを確認して、ディーノはその誘惑に乗った。ずるずると壁を背にして座り込む。こんな事をしに並盛に来たわけじゃないのに。
 はあ、零れた溜め息にちょっと泣きそうになった。
 「俺、今日誕生日なのに…」
 「へえ、そうなの」
 呟いた言葉への返事に、思わず肩が揺れた。恐る恐る顔を上げれば、東洋人らしい平坦な顔が微笑んでいる。勿論、その手には銀色に光る武器が。
 「じゃあ、今日は沢山咬み殺してあげるよ」
 にこり、と。
 機嫌のよさそうな弟子の笑顔は素直に嬉しいと思うが、セットで視界に映るトンファーはいただけない。
大変いただけない。
 ぶんぶんと首を振って降参の姿勢を取っても、既に戦闘への高揚で気分の盛り上がってる雲雀を止められるわけもなく。
 結局その日は陽が沈んだ後もディーノは盛大に動くこととなった。




(2009/02/04)




TOP